こんにちは!
今年も残暑が長引くという予報を聞きますが、本当に危険な暑さが続いています。
給食ではさっぱりと冷たい麺類をお出ししたり、季節のゼリーをお出しして少しでも涼しさを感じていただけるよう工夫しています。
その一方で朝晩はひんやりとした風を感じる日も増えてきました。
気が付けばもう9月。暑さの中にも、どこか夏の終わりを感じつつ、ふと、昔の夏や家族との時間を思い出すことがあります。

そんな中で、毎年迎える「お盆」という行事にも、年々違った想いを抱くようになってきました。
お盆は、親せきで集まる機会も多い時期ですが、その反面、家族“みんなで”顔を合わせることの難しさも年々感じます。
仕事や生活の環境、介護や体調の問題など、それぞれに事情がある中で、昔のように全員が一つの食卓を囲む——そんな時間が、どれほど貴重だったのかを改めて感じます。

私には、曾祖母との思い出の味が2つあります。
ひとつは、手作りの白菜の浅漬け。
もうひとつは、お彼岸やお盆に並んでいたおはぎです。
曾祖母が亡くなったのは、私がまだ幼く、自分から料理をしてみようなんて発想もなかった頃。
気づけば、味そのものは思い出せなくなってしまいました。
でも、「美味しかった」「また食べたい」と感じた記憶だけは、今も心に残っています。
もちろん、思い出の味はそれだけではありません。
「テレビで見た人気のお店の行列に並んで、食パンを買ったよね。」
なんていう話が出るだけで、そのときの笑顔やにぎやかな雰囲気がよみがえります。
こうした“食の記憶”を振り返ると、今の自分や家族にとって、これからどんなふうに食べていきたいかを考えるきっかけにもなるように思います。

「好きなものを食べられること」
「おいしいねって言い合えること」
「自分のペースで、自分らしく食事ができること」
当たり前のようでいて、どれもとても大切なことです。
だからこそ、何気ない日常の中で
「最近ごはんどう?」
「昔からこれ好きだったよね」
といったさりげない会話が、その人の“これから”を考えるヒントになるのではないでしょうか。

実は、エンディングノートの中にも「食事」に関する項目があります。
「最期に食べたいものは?」と聞かれると難しいですが、「赤だしが好き」「最後まで自分の箸で食べたい」など、ちいさな好みを残しておくことで、いざという時に、家族が迷わずに寄り添えることもあるかもしれません。

最期の時を思い浮かべると、つい暗い気持ちになるかもしれませんが、私は、「どんなふうに生きていたいか」「何が好きか」を伝えておくことは、大切なことだと思います。
それは、“死に方”ではなく“生き方”を伝えること。
あえてかしこまってまとめなくても、日々のさりげない会話の中から自然と伝わることもあるように感じます。
そしてきっと、「あの時話していたこれを、できた」と一つでも思えることがあれば、それだけで十分に意味があるのではないでしょうか。

からざステーションは、在宅復帰や生活の維持を目指す施設ですが、ご本人の状態やご家族のご意向など、状況に応じて、最期までのお時間をともに過ごさせていただくこともあります。
これまでにも、数件のお看取りを経験させていただきました。
これからも、ご利用者さまとご家族の思い出にそっと寄り添いながら、一人ひとりにとってあたたかい時間となるよう、日々学び続けていきたいと思っています。