こんにちは、事務を担当しているIと申します。今回は私の持論をお話させてください。
仏教語の「因果応報」の意味、悪いことしたら罰が当たる、と誰しも幼い頃に躾として使われた言葉だと思います。私もこれで多少は大人しくお利口さんにしていました。
ただ最近はこの言葉のもうひとつの意味合いの、良い行いをしたら自分に返ってくる。という方に意識を持って行動するようになってきました。そう書くと仰々しく聞こえますが大したことではなく日々の何気ないことでの意識付けです。
例えば、どこかのお店の店員さんの態度の悪さに腹が立ったとした時、すぐに感情的に反応するのではなく、それは自分の表情、態度が悪くて無愛想にさせているのかもしれないと考える事。そう考えると次は笑顔を心がけよう!とします。そのように意識を持っていくと次第に居心地の良い場所が増えていくように思えます。相手は自分の鏡。自分の行いが返ってきている、そう思うと態度も気持ちも良い方向に向いていきます。
ですから、全ては自分の心もちなのだと思います。気分の良いときには見えないのに気が滅入っているときやイライラしているときには相手の笑顔がないというだけで態度が悪く見えてしまう。同じ野原を見ても気分の良いときには小さな花たちを見つけ癒しを感じ、悪いときには雑草に埋もれてしまいその感動も見つけられない、同じ景色を見るのなら前者が見える方でありたいと思えませんか?
こちらが感じた相手の態度ひとつで自分のモチベーションが振り回されると後々まで気分が悪い思いをするし、そこには近づかなくなり行動範囲までも制限されてしまいます。相手が悪いのではなく自分の気持ちに振り回されているのです。気の持ちようひとつで行動は広がるし苦手も減る。そう理解出来たら毎日のストレスが軽減されるし生活しやすくなると思います。
因果応報、自分の日頃の行いで自分自身が報われる、そう心掛けて日々の態度に気を配ろうと思ってます。

I