~たか子さん(仮名)、生誕70周年(古希のお祝い)の会が開かれるまで~
お名前については、医療機関として個人情報保護の観点から仮名を採用いたしました。

たか子さんのマイストーリー

たか子さん(70歳)は、知的な障害をもって生を受けました。さらに幼少期に両親を亡くし、親戚の家に預けられ、いくぶん恵まれない境遇にあったと聞きます。それから、知的障害をベースとした不適応障害もみられるようになっていました。14歳になった昭和40(1965)年に、行政機関のサポートで福岡市早良区野芥の油山病院(精神科)に入院することになったそうです。当時の精神科病院には、このような知的障害の方が入院されるケースも少なからず見受けられました。

居心地が良いゆえに、長引いた入院生活

民間の精神科病院が急増したのは、昭和30年代後半。ですから、昭和40年代頃の精神科病院は「治療の場」というより、むしろ「生活の場」としての要素が強かった時代です。現在の精神科病院のように個室が多い病棟ではなく、広い畳の部屋などを療養に用いる病棟がありました。
しかし、病院全体は牧歌的な雰囲気で家庭的な温かさに包まれていましたから、たか子さんにとっては心地よい空間だったに違いありません。彼女の学力を補足するために、病棟の看護師たちが小学生レベルの漢字ドリルを買ってきて、一緒に学習するような時間を設けてくれました。当時のことを、担当した看護師も楽しかったと言います。家庭に恵まれなかった彼女にとって、まるで家庭生活のような入院の日々は居心地が良かったがゆえに、入院生活は驚くほど長期化してしまいました。

精神科長期入院患者さんの退院促進の取り組み

さて、油山病院で精神科長期入院患者さんの退院促進に本格的に取り組み始めたのは、平成19年度です。ちょうど国が精神科の長期入院患者さんの退院支援を制度として推進するようになる平成20年以前ですから、当院はほんの少しだけ先駆けて取り組み始めたことになります。まず院内の医療スタッフが長期入院患者さんのなかから退院候補者を意識してもらえるように、精神保健福祉士や作業療法士などが中心になって働きかけを進めたことで、職員間の退院推進への意欲は高まりをみせてきました。
しかし、長期入院患者さんのなかには既に退院意欲を失っている方も少なくはなく、退院への促しを「追い出される」に似た感覚で受け止める方がいらっしゃいました。まさに、たか子さんもそのように受け止めていた一人です。

「かしはらホーム」との出会い、入院生活にピリオツド。

精神保健福祉士がたか子さんに退院の働きかけている折に、福岡市南区の指定障害者支援施設「かしはらホーム」との出会いがありました。「かしはらホーム」は知的障害・身体障害・精神障がい者対応の施設入所支援・生活介護・自立支援、通所支援を行っている事業所です。50名の仲間が4つのユニット(男性対象3棟、女性対象1棟)に分かれて暮らしています。施設では、障害のある方々を「共に地域で暮らす仲間、働く仲間、制度を作っていく仲間」として「仲間」と呼んでいるそうです。「仲間」が一人の大人として、社会人として「地域の中で働き暮らすこと、社会参加すること」をもとに、一人ひとりの個性や暮らし方を大切にされているとのこと。年齢・育った環境・障害の程度が異なる人が集まって暮らしているので、それぞれのペースや思いがあるということを前提に、施設職員の皆さんは支援されているそうです。
この「かしはらホーム」さんなら、たか子さんがたか子さんらしく生きることを受け入れてくれて、彼女自身の後半の人生が豊かなものになるのではないかと、当院の精神保健福祉士は「運命の出会い」を直感しました。そうして、あれほど退院に難色を示していたたか子さんは、平成17年1月に約40年過ごした油山病院を退院し、「かしはらホーム」での新しい生活を開始したのです。

「かしはらホーム」での生活

たか子さんの「かしはらホーム」での暮らしぶりについて、施設職員の久留須詩子さんは以下のように語ってくれました。(「かしはらホーム」は入所施設で、働くことを大切にしています。当時のたか子さんは洗濯ハサミ組み立て作業で、厚紙に洗濯ハサミを挟んで商品を整える工程を担当して細やかな収入を得ていました。現在は箱折り作業やラベル貼りの下請け作業に携わっています)

「たか子さんは「自分はこうしたい!」と思ったら遠慮はしない、男性職員には恋心を、女性職員には恋心以外のあらゆる感情を全力でぶつけるというのが、たか子さん流の関係の築き方なので、そういったことを否定せずに受け止めることを入所当初から大切にしてきました。
同じユニットで暮らす仲間からたか子さんの大声に不満を持つ仲間もいたようですが、排除するような動きはなく同じ班に所属する仲間がフォローするなど、職員だけでなく仲間も一緒になってたか子さんとの関係を築こうとしていたようです。仕事を通して得たものはお給料だけでなく、社会とのつながりや自分の役割・存在意義のようなものを実感できる様になったのではないかと思います。」

「暮らしの場面においては、たか子さんの主張がキッカケで暮らしの幅が広がっていくことがいくつもあり、かしはらホームにおいてたか子さんは開拓者のような一面もあります。例えば入浴は仕事が終わった後の夕方に大浴場でみんな入るというのが慣例でした。たか子さんは「小さい風呂に入りたい。みんなと一緒じゃなくてゆっくり入りたい。夕方だけじゃなくて汚れてしまった時には入れてほしい」とこれまでの慣例からはみ出ていますが、そういった思いをわがままと捉えるのではなく【当たり前とされていることは、本当にそのままでいいのか?見直す必要はないか?】【自分だったらゆっくりお風呂に入りたいよな】など、職員が枠に捉われない考え方を持てるようになっていったのではないかと思います。」

「たか子さんの思いと職員側の思いをすり合わせて、お互いに試行錯誤しながら【どちらも納得できる着地点を見つけていく】ために職員それぞれが自分の頭で考え、たか子さんからの辛辣な言葉に心を大きく揺さぶられながら、職員としてだけでなく人間としても鍛えられています。こういったやりとりを積み重ねていくことで、たか子さん自身が【自分の思いはちゃんと受け止めてもらえている】【みんなから大事にされている・愛されている】と実感できるようになったのだと思います。(このことを契機に、現在では入浴は仲間の皆さんの要望に合わせて柔軟に対応しています)」

生誕70周年(古希のお祝い)の会が開かれる

「かしはらホーム」では、施設で70歳を迎えた「仲間」には市内の有名ホテルで盛大な催しを行うことを恒例とされています。本年はコロナ禍で、感染防止対応を行いながらの運営だったそうですが、結婚へのあこがれが強いたか子さんから「披露宴のようにしたい」との希望を受けて、披露宴をイメージした衣装を準備され、お祝い会を開催されたと聞き及びました。ちなみに、会のテーマは「私、愛されとーもんね」。これはたか子さんご自身の言葉だそうです。私ども油山病院職員にとっても、本当に嬉しいトピツクスでした。

(ご参考)以下はお祝いの会のスケジュール。
たか子さん、古希のお祝い会「私、愛されとーもんね~」

  1. たか子さん入場-歴代パートナー(選抜された男性職員3名)にエスコートしてもらって-
  2. 写真撮影
  3. たか子さん70年のあゆみ(スライド)
  4. 来賓の方よりお祝いの言葉
  5. 各棟からのお祝いのメッセージ
  6. 記念品贈呈
ドレス姿のたか子さん(右)と「かしはらホーム」職員の方の写真 写真はドレス姿のたか子さん(右)と「かしはらホーム」職員の方

これからのたか子さんへ

今回、この原稿を作成するに至った経緯は、「かしはらホーム」の3名の職員さんが、当院の元患者であるたか子さんの「古希のお祝い」を開催するにあたって、彼女の成育歴や入院生活について詳しく知りたいとのお申し出があり当院訪問されたことに始まります。
たか子さんのご入院が昭和40年であることもあり、当時を知る職員はごくわずか。辛うじて、現在法人の教務部長である川上孝徳(看護師)が当時の様子をよく覚えており、たか子さんのマイストーリーの全貌をかたちにすることに少しはお役に立ったように思います。たか子さんご自身も、時折油山病院をなつかしく思い出してくださっているとお聞きしました。その時代の精神科病院の治療は、現在の精神科医療に比べると見劣りするものに違いありませんが、少なくとも14歳のたか子さんを温かく受け入れ、家族のように接して心の拠り所となる看護が提供できていたことは、本当に嬉しく思いました。
人生100年時代と言われる昨今、70歳のたか子さんにはたくさんの未来が待っています。不遇だった時代を取り戻して余りあるように、たか子さんらしく生き生きと楽しく、わがままに人生を謳歌していただきたいと心よりお祈り申し上げます。どうぞ、油山病院を思い出したら、「かしはらホーム」の方々と一緒に遊びに来てください。私たちは、いつまでもあなたの「友人」です。

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