パーソナリティ障害における「自己と他者とのズレ」を踏まえて

「情緒を抱える器(capacity)」の前段となる「パーソナリティ障害とは~自己と他者のズレ~」において、以下のように記しています。本文をご覧いただく前にご一読いただければ、より理解を深まりますので、ご参考まで掲載します。
「自己と他者とのズレを認知し、それをめぐる情緒が個人の内のものとして実感し言葉にできるかどうか、つまり、”情緒を抱える器(capacity)”としての自我機能が自己と他者との関係性(情緒的コミュニケーション)の中にその個人に育まれており、自己感覚や他者感覚が形成され、自己の能動性が持てているかどうかによって、精神病―パーソナリティ障害―神経症(健常)のスペクトラムを見、パーソナリティ障害を捉えることができるのではないかと治療者である私は考えています。(松木邦裕・福井敏 編「パーソナリティ障害の精神分析的アプローチ」金剛出版 から引用)」

「情緒を抱える器(capacity)」から見る精神疾患

幼少期から自己と他者との情緒的コミュニケーションを通じて、他者の情緒を抱える”器”がとり入れられ同一化され、自己のものになっているレベルによって、以下のように精神疾患を見てみます。
精神病(統合失調症)では、自己と他者とのズレをめぐる情緒を抱え込み、それらに持ち堪えるための”器”としての自我機能が個人にほとんど育っていません。よって、情緒を関係性のまったく外に投げ出してしまい(投影)、自己のものとして感じないか、あるいは感じても遠い外からやってくる、歪んだ(被害・迫害的な)ものとして捉えています。(中略)言い換えれば、自己と他者との心的距離を無限大に遠く置くことで、自らを生き延びようとするのです。
もうひとつの精神病であるうつ病では、愛する対象の喪失(それは最大のズレとして捉えることができるのですが)に伴う情緒を抱えきれず、失った他者と自己とを自己愛的に同一化一体化することによって、喪失した事実とそれをめぐる空虚感や悲しさを認知はしているものの実感できないでいます。(中略)いわば、心的距離をゼロにして、喪失した他者とともに生きるのです。(中略)
一方で、神経症あるいは健常者では、自己と他者との関係性の中で幼少期から”器”が育っているので、自己と他者とのズレやそれをめぐる情緒を自己の内側のもの(葛藤)として抱えて能動的に生きることができます。彼らには、自己感覚と他者感覚も、情緒を含んだ現実的な存在として捉えられています。
精神病と神経症との間にあるパーソナリティ障害ではどうでしょうか。彼らにおいては、その個人に備わった情緒を入れる”器”はいまだ形成途上であり、自己と他者をめぐるズレを伴う情緒は、自己と他者との関係性そのものの中に投げ込まれる(投影同一化)のです。しかも精神病ほどではないにしても、情緒を実感することやそれを伝える手段(言葉)が充分に育っていないため、情緒は身体化された形や行動といった形で関係性の中に投げ込まれてしまいます。そして、それらが他者によって抱えられ、言葉として自己を映し返されつづけない限り、情緒を自己のものとして抱える”器”は育たず、自己感覚や他者感覚も不明確のまま、生きていかねばならなくなります。

ボーダーラインの持つ意味

このように、精神科と神経症とのスペクトラムの”境界(間)”という意味での”ボーダーライン”は以前から言われてきたことですが、治療者として私はもうひとつの意味として、人(自己)と人(他者)との”境界(間)”(関係性)の真っただ中に情緒を投げかける障害としての”ボーダーライン”という意味を加えたいと思います。
つまり、パーソナリティ障害とは、自己と他者との間の空隙(分離)を認知しながらも、そこから来る空虚感(それを、あるパーソナリティ障害の人は「さむしさ」と表現しました。それは寂しさとも言えない、しかし虚しさだけではない、両者を併せ持った感情とのこと。言い得て妙だと思います)や、その空虚感を埋めるものとしての怒りといった情緒を実感し持ち堪えることができず、それでも生きるために、いまだ言葉にならない形(身体や行動)で自己と他者との関係性の中に投げかけ、結果的に他者を巻き込むのです。そしてそれが、巻き込まれた他者によって受け取られ抱えられて、「さむしさ」であり怒りであると映し返され言葉にされない限り、情緒を自己の”器”の中に葛藤として納めることができず、統合された自己感覚や他者感覚を築ききれない障害であると言えるのではないでしょうか。
逆に言えば、精神病とは異なって、情緒を未熟ながらも関係性の中に投げ込むことができ、他者を情緒的に巻き込むことができるのだと言えるのかもしれません。それは上述したように、生きるためでもあり、また”器”を育て成長しようとする能動性が残っているのだとも言えます。そこに、その個人がパーソナリティ障害を呈した意味かあるでしょうし、治療の可能性も見出せると治療者である私は考えます。

(松木邦裕・福井敏 編「パーソナリティ障害の精神分析的アプローチ(金剛出版)」から引用)