振り返ると、目標もなく日々自堕落に過ごしていた20数年前、私は精神科看護と出会いました。看護補助者として精神科病院へ入職し、2週間が過ぎようとしていた頃、ある出来事が起こりました。当時の私は、当然のことながら精神科の病気についての知識もないため、入院患者さんの話を妄想と分からず信じ込み、妄想の世界に付き合い行動していました(専門用語的に格好よく言うならば、ナラティブ・アプローチを実践していたということになりますが)。その時のショックというか衝撃というか、その時に「患者さんの中で起こっている世界に少しでも触れてみたい」という思いが湧き出て精神科看護にのめり込んでいったのではないかと感じています。

とは言え、私なりに精神科看護を楽しみながら過ごしていたある日、神経症圏の患者さんから「ゾテピンちょうだい」と言われ戸惑っている私に「あんた薬のことわからんやろ」と言われたことがありました。今では、後発品の薬剤は一般名と商品名が同じですが、当時はまだ、先発品ばかりで商品名と一般名が違っていました(当時ゾテピンが一般名で、当院の取り扱っていた商品名はロドピン。私はロドピンしか知りませんでした)。その患者さんは、一般名で話してこられたのです。その時、看護師として専門職として大変恥ずかしいと感じ、その後自分で勉強を始め、薬だけではなく、病気についても、看護についても猛勉強をしました。その時に強い恥ずかしさを感じたからこそ、現在は精神科認定看護師を取得して活動をさせていただいているのだと思います。

さて、私は普段、精神科病棟で勤務しているのですが、精神科看護を語るとき、切っても切れない事があると考えています。それは精神科の歴史です。当然のことながら精神疾患も昔から存在しています。しかし、その患者を看る方法は私宅監置であり、私宅監置が違法となると、病院へ収容するという時代が長く続いていました。

このような時代背景が、現在の精神科看護にも少なからず影響を残していることは否めないと考えています。色々な影響が考えられますが、管理と自尊心への影響は大きいのではないかと感じています。

では管理とはどのようなことでしょう。私宅監置では当然、家で監置されていたので家族や警察から管理されている。病院でも収容という言葉の通り、病院生活で生活全般から私物を持つということまで管理されている。今では精神保健福祉法のもと、病状にもよりますが、人権が尊重され外出や外泊ができるようになり、私物を自分でもってもらうようになっています。しかし、ここで私が述べる管理とは、それらの物理的管理ではなく「管理的思考」についてです。

私たち看護師は患者さんに何らかの変化が現れると、すぐに「管理」という考えに結びついてしまいがちです。特に先述した歴史の中で、医療者として存在してきたベテランの看護師は「管理」という考えに結びつきやすい傾向にあるのではないかと感じています。確かに、時には「管理」は大切かもしれませんし、行う必要があるときもあります。しかし、私は「管理」はあくまで最終手段であり、本人の力や医療者の関わり方で対応していくことが精神科看護では大切なことではかいかと考えています。

例えば、10代の頃に発症して、長い入院生活を送っている患者さんがいるとしましょう。今までは自分の衣類を業者に洗濯委託をしたり、時にはご家族が洗濯したりという方法を取っていましたが、その方の自立を目指して「自分で洗濯する」という方法をとることにしました。しかし、患者さんは初めてのことなので失敗を繰り返します。このとき、医療者は「できない」という判断をして、また業者やご家族に洗濯を依頼してしまうかもしれません。ですがこれは、ある意味「自立獲得行動に対しての管理」といえるかもしれません。

考えてみてください。10代の頃に発症していたということは、その少し前から症状は現れており、洗濯をするという行為を行えていなかったとしたらどうでしょう。また、長い入院生活で新しい事柄を覚えることが苦手になっていると考えたらどうでしょう。

他にも、30年以上入院している方の退院支援を考えた時に「ご飯は電子レンジがあるから、それを使おうね」と私達は安易に言ってしまうでしょう。私達なら当たり前に使用している電子レンジは、果たしてその人は使ったことがあるのでしょうか。

「管理的思考」になると、できる、できない、いい、悪いと医療者視点や医療者的思考で判断していく傾向にあるように思います。それは、その人が持っている健康な部分を脅かしている行為ではないでしょうか。

その人が何を体験し、何を獲得しているのか、個人のヒストリーを十分考慮した視点を持つことが、「管理的思考」を緩和させ、その人がもつ強みを活かしながら、その人らしく生きていけるように支援する関わりができるのではないかと考えています。

ではその人らしく生きていくということはどのようなことでしょう。そこには「自尊心」が大切なのではないかと考えます。「自尊心」とは何なのか。簡単に言うと、自分で自分を肯定的に認めているかということです。精神疾患を患った人は、残念ながら家庭や学校、職場等社会の中で少なからずとも、迫害を受けたという経験がある方が少なくはありません。

その迫害が、自分を戒め否定し、周囲から管理的に関わられた事により、何もさせてもらえない、したいこともやらせてもらえないという体験につながっているように感じます。

入院治療を否定するつもりもありませんし、必要なときには入院治療は必要です。精神科医療全体でみれば、現在も長い入院生活を送っている方が数多くいます。ひょっとしたら医療者もその人の目標を「安定した入院生活を送る」という考えの方もいるのかもしれません。しかし、入院生活はその人の人生の中の一部で有るべきだし、全部になってはいけません。

私の精神科看護観は、その時々で変化起こしてきたし、きっとこれからも変化をしていくことと思います。しかし、こうした歴史的背景が確実に存在してしまっている以上、私のこの考えは今後も自分の中で存在し続けていくのではないかと感じています。人それぞれに過去、現在、未来があります。過去にあったことや体験したこと、今現在起こっていることは十人十色でしょう。だからこそ、精神科看護力というのは、いろいろな障害があっても、その人の未来へ向けた新しい生活や新しい道を一緒に創る創造する力ではないだろうかと感じています。

地域包括ケアシステムが構築され、精神科も病院中心から地域中心へと変わっています。精神科看護師も地域で支援に関わっている方が多くなっています。しかし、私はこれからも病院だから行える支援、病院だからこそ行わなければならない支援、そして病院だから発信できる精神科看護を実践し、地域の支援者とともに精神科看護師として関わっていこうと考えています。

(文責 精神科認定看護師 斎藤 孝則)