カウンセリングなどへのコロナウィルスの影響

昨年からコロナウィルスの影響で、私たちの生活は一変しました。私が勤務する油山病院でもさまざまな感染対策を行い、患者様の安全を第一に試行錯誤してまいりました。これまで当たり前であったことの多くが当たり前でなかったのだと感じた方が多かったのではないでしょうか。患者様とのカウンセリング(心理療法)を行っている立場としては、直接患者様とお会いして一定時間を個室で過ごすと言うことが一時期維持できなくなったことに大変大きな衝撃を受けました。また、今もなお再び直接お会いできる環境が維持できなくなる可能性と常に隣り合わせであることに、不安を抱え続けていることも事実です。ただ、このような状況で、改めて自分が医療に関わる者として何を大事にしたいのかという考えを認識することになりました。

コロナ禍でのカウンセリング

カウンセリングについて言えば、何人かの心理士の考えやカウンセリングの行い方について知る機会がありましたが、本当にさまざまでした。対面でのカウンセリングを中止する方、時間短縮や換気をしながら行う方、オンラインに切り替える方、これまでと変わらない形で行う方などです。カウンセリングを実施している場所の特性もあると思いますが、実施の仕方を決める過程では多くの真剣な協議がなされていました。

コロナ禍における不安や恐怖

さて、コロナ禍では「コロナうつ」という言葉をよく耳にしますが、「五月病」や「こころの風邪」などの表現のように社会生活から生まれた言葉です。「コロナうつ」には医学的定義はありませんが、そのような言葉が生まれるというところに、社会全体の閉塞感が示されていると思います。ここでは、コロナ禍の先の見えない状況で生じる不安や恐怖についてお話しさせていただきたいと思います。
私は、このコロナ禍に数名の患者様から同様の質問を受けました。それぞれの患者様についての詳細な記述は控えたいと思いますが、どの患者様とも一定期間お会いしていました。コロナウィルスが蔓延し始めた頃、患者様方からここ(カウンセリング)に来ていいのかと尋ねられることがありました。その言葉は、それまでに語られていたそれぞれの方の生い立ちが深く関係している面もありましたが、同時に、コロナ禍において私たちの不安や恐怖や意思が半ば強制的に明確になるのだとも感じました。私たちは普段、自分にとってあまり見たくない感情を遠ざけながら生活するという健康に欠かせない力を持っています。しかし、目には見えないけれども猛威を振るうコロナウィルス感染の脅威に、患者様のみならず私も病院も社会も覆われている状況では、遠ざけていた不安や恐怖が日常生活に姿を現しやすくなると言うことです。ちょうどその頃、当院でも感染対策をどのように行うか、治療や臨床と患者様の安全をどう両立させるかということの協議が重ねられていました。このコロナウィルスに関する未だ続く試行錯誤は、不安や恐怖と隣り合わせの状況でその人自身が何を重視し何を選ぶかという真剣な意見のぶつかり合いでもあると思います。誰もが少なからず命のかかった状況で、何が本当に有効であるのか分からないとき、どのような選択も間違いとは言えません。そのような中で一時的に中止や時間短縮を行いつつも対面でのカウンセリングを続け、次第に明確になったのは、私がいかに対面でのカウンセリングが大切だと感じているかということでした。患者様との話に戻りますが、私はその患者様に来ていただきたいと思い、それが果たせるよう院内で動き、しかし病院として患者様の安全を守ることも考え、その上で来ていただける形を考え伝えることになりました。また、患者様方も対面でのカウンセリングを希望され、私たちは多くの決断とお互いの強い意思により貴重なカウンセリングの時間を持つことができています。

深刻な状況になる前に、周囲への相談を

コロナ禍で、これまで当たり前にできていたことができなくなり、何かをこれまで通りに行うためには多くの人の準備や協力が必要になりました。しかしその分、互いの揺るがない意思を感じる瞬間に出会うようになりました。コロナ禍のストレスフルな状況ではありますが、患者様や油山病院のスタッフの、治療や医療や生命についての真剣な思いにふれることができていることには、私は希望を感じています。一方で先の見えない状況は続いており、失業、虐待、DV、自死の増加など、深刻な影響が出始めています。自分が考えている以上に、コロナウィルスの影響でストレスを感じている可能性があります。大人もですが、子どもたちへの影響も随分と懸念されています。皆大変なのだからと思わずに、気分の落ち込みや不安やイライラが続くときは、ぜひ周りのどなたかにご相談ください。場合によっては、医療機関の受診もご検討ください。

油山病院 臨床心理士 黒崎和泉