症例

Bさん(20歳代後半、女性)は、目まいや頭痛といった身体症状とともに離人症状を訴え、また、不安定な対人関係、過食・嘔吐、リストカット等の自己破壊的衝動行為を呈し、”ボーダーライン”と診断された人ですが、以下はその初診時の話です。
小さい頃から、周りとうまく溶け込めない感じがしていました。家の中のゴタゴタがいつも不安の種だったのです。それでも何とか周りに合わせ、人の輪に入ろうとしてきました。ところが、中学校のとき、友達と思っていた人から、あなたのこと嫌い、と突然言われ、また、進路のことで親と口論になり、自分の思いを一方的に否定されたとき、自分がガラガラと崩れていく音がしたそうです。それ以来、自分が分からなくなった、そして死ぬことばかり考えるようになったとのことでした。

自己と他者とのズレ

このような自分が分からなくなったという自己感覚を失うストーリーは、パーソナリティ障害の人たちからよく聞かれるものです。自己感覚は他者との関係から織りなされるものであると治療者は考えていますが、幼少期から他者(最初に出会うのは母親、次いで両親、そして社会の中の人たち)とのズレを常に強く感じている人たちは、自己感覚、ならびに他者感覚が充分に形成されず、人の中で自分はどのように生きていけば良いか分からなくなってしまうのです。そして、それでも生きていくために、彼らは自己感覚を育む芽をも自ら摘んで、他者に合わせるしかなくなっていくことになります。
幼少期からの自己と他者とのズレは、その個人の生来の主張とも言うべきものと他者のそれとのズレであり、それはどんな個人においても他者との間に存在しているものです。むしろ、そのようなズレをも含んだ両者の作り出す関係性から、自己感覚と他者感覚が織りなされ、その個人の生きる能動性が産み出されていくものと治療者は考えています。
しかし、そのズレが大きすぎる場合、あるいは一方もしくは双方がそのズレから生じる情緒(空虚感・無力感や怒り)に耐えられない場合に混乱を来し、時にはどちらかを抹消せざるをえないことになります。つまり、自己と他者とのズレは無力感・空虚感や怒りの情緒を生みますが、それらの情緒が双方の間に共有され抱え込まれるならば、両者の関係性は生産的なものとなり、自己感覚や他者感覚を織りなし、能動的に生きていくエネルギー源になります。しかし、情緒が双方を圧倒するならば、関係性は破壊的なものとなってしまい、お互いのズレを認知しながらも、自己感覚や他者感覚を育み、生きていく培地とはならないのです。その結果、その個人が持っているであろう情緒を実感し言葉に表現することができず、自己ならびに他者を見失ったまま、あるいは殺したまま受動的に生きていかなければならなくなります。
このように自己と他者とのズレを認知し、それをめぐる情緒が個人の内のものとして実感し言葉にできるかどうか、つまり、情緒を抱える”器(capacity)”としての自我機能が自己と他者の関係性(情緒的コミュニケーション)の中でその個人に育まれており、自己感覚や他者感覚が形成され、自己の能動性が持てているかどうかによって、精神病―パーソナリティ障害―神経症(健常)のスペクトラムを見、パーソナリティ障害を捉えることができるのではないかと治療者である私は考えています。

(松木邦裕・福井敏 編「パーソナリティ障害の精神分析的アプローチ(金剛出版)」から引用)